「日本維新の会 下地ミキオの除名処分を撤回」
日本維新の会は9月4日、下地幹郎への除名処分を撤回しました。
3年前、IR疑惑に巻き込まれる形で私の名前が出ましたが、私はその直後の1月6日、IR疑惑とは全く関係がないこと、私の過ちは、個人献金100万円の政治資金収支報告書への記載が漏れていたことであり、沖縄県選管の指導を受けて訂正したことなど、記者からの質問が出なくなるまで、Youtubeでも生配信しながら2時間の記者会見を行い、説明責任を果たしました。
そして、党に迷惑をかけないために、翌7日に離党届を提出しましたが、松井一郎代表はそれを受理せず、8日に除名処分を下したのであります。
「除名撤回を勝ち取った“協議”」
この処分には大きな不服がありましたが、関連する裁判が終わり、維新の重要政策である大坂都構想住民投票(同年11月1日)が終わるのを待ち、処分撤回を求める上申書を提出しました。
関連裁判の中で私が事件に関与していないことが明らかになったこと、私が処分撤回を求めることで住民投票に影響を与えてはならないと考えてのタイミングでしたが、維新からの回答はありませんでした。
そして昨年10月5日、弁護士の見解を盛り込みながら、二度目の上申書を提出しました。
私と同様の過ちで除名になるとすれば、今の維新に在籍する議員の多くが除名処分となるでしょう。
公明正大な判断をしてもらいたいという強い思いがありましたが、それ以上に、除名処分によって著しく傷つけられた私の名誉を回復することが、目的でした。
最終的には裁判に打って出る覚悟でいましたが、“話し合いで結論を導き出したい”とする維新側の意向が協議の場をつくり、結論が導かれたのであります。
私と維新、弁護士と維新で、幾度も協議を重ねましたが、互いを理解し、互いの顔を立てる配慮もしながら進められたことは、両者にとって実のあるものでした。
「第三極が政治を変え 沖縄を変える」
維新は、日本の政治史上初めての大型野党第二党として第三極をつくり、野党第一党になり、政権を担い得る段階に来ているだけに、沖縄の政治をつくるためにも、ポジティブな協議を行う意味でも、私の仲間の議員の皆さん(下地グループ)に、維新に復党・入党していただき、政治の連携を図る決断をしました。
沖縄の率直な声を、維新を通して日本の政治に反映することが大事なことだからです。
私は復党せず、沖縄の政治に、保守・革新の二極ではない「第三極の政治勢力」をつくり上げていきたい。
辺野古移設に賛成・反対だけではなく、政府との政治協議で決着をつけるためには、無所属という選択肢が正しいと信じています。
政党の考え方に縛られては、解決策を見出すことはできないし、どちらかに偏ってもその役割は担えないことは、これまでの歴史が物語っています。
私の名誉回復が果たされたと同時に、私の仲間が維新の中でがんばり、無所属だからこその私の提案で辺野古移設問題を終わらせる、その強い政治信念を心に刻んだ今、毎日がワクワクしています。
27年間のキャリアを存分に活かして、沖縄に寄り添った提案をしながら、政策を実現していくのが下地ミキオです。