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自公連立誕生の裏に

(2023年5月26日にメールマガジンにて配信された内容を転載しています)


「自公連立政権の危機」が、毎日のように新聞を賑わせておりますが、下地ミキオは「自公連立政権が解消することは絶対にない」と確信しています。

その理由は大きく2つあります。

1つ目は、公明党の「創価学会票+フレンド票=1万5000票」が、自民党候補者の当選を左右すること。

2つ目は、「選挙区は自民・比例は公明」、つまり、「選挙区で公明党の組織票を自民候補に提供する代わりに、自民の組織票を公明党の比例票に振り分ける」という、“持ちつ持たれつ”の関係があり、この関係を解消すれば、7割が比例当選の公明党の衆議院議席数が激減する可能性があるからです。

このことからも、自公連立政権の破綻は、お互いにとって何一つメリットがないことは明白です。

自民党と公明党との選挙協力が初めて行われたのは、2000年の衆議院沖縄第1選挙区でありました。

白保台一先生(公明党)と、下地ミキオ(自民党)で、“選挙区は白保先生、九州比例は下地ミキオ”という、憲政史上初の他党とのコスタリカ方式が実現しました。

コスタリカ方式とは、衆議院の同一選挙区内で、選挙区と比例代表をお互いが譲り合って出馬する方式のことです。

当時の国会は、衆議院と参議院がねじれ、さまざまな政策が成立するまでに多大な時間を要するという、極めて厳しい政治環境となっておりました。

小渕政権は、安定した国会運営をめざした連立政権を模索するなかで、公明党の候補者と自民党の候補者がガチンコでぶつかり合う沖縄1区の選挙区調整に乗り出したのです。

私は、2つの理由から、このコスタリカ方式を認めました。

1つ目は、小渕政権がねじれ国会を解消すれば、どん底になっている日本経済を活性化させることが出来ると考えたこと。

2つ目には、小渕総理が、沖縄でのサミット開催を決断したこと。

サミットの最中に米軍人による事件・事故があれば、サミットそのものが崩壊してしまうというリスクを承知のうえで、小渕総理は沖縄での開催を決断しました。

自らの政治信条を抑えて、国益と沖縄のために、白保先生とのコスタリカを行ったことは、今もって後悔するものではありません。

しかしながら、「次の選挙では、下地ミキオが選挙区、比例は白保先生」との約束があったにもかかわらず、紆余曲折のなかで、実現には至りませんでした。

私が、普天間基地の移設先について、自民党が推し進めていた辺野古ではなく、「新嘉手納統合案」を提案したことで、辺野古推進派の翁長雄志自民党沖縄県連幹事長と対立したこと。

沖縄県内の保守系市町村長が、自公連携を確立することで自らの立場を維持したいと考えたこと。

沖縄1区以外の3つの選挙区において、自公で選挙協力したほうが有利であると考える候補がいたこと。

これらのことから、「下地ミキオは次も比例で」とする動きになり、コスタリカを認めない私を離党へと向かわせたのでした。

小渕総理が、私や、私の後援会幹部に対して、「安定的な国会運営ができれば、沖縄政策においても、さまざまな支援ができる。ここは是非、国家のために理解をいただけないでしょうか」と、深々と頭を下げられたことを、今も忘れることはありません。

国民のための政策を遂行するために連立政権の道をつくった小渕総理は、選挙調整のみで自公連立の危機を招いている現状をどう見ているのでしょうか。

連立政権の恩恵を享受する人たちは、いま一度、連立政権誕生の意味と、下地ミキオのあの時の政治決断について、熟考すべきです。

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