(2021年3月12日にメールマガジンにて配信された内容を転載しています)
昨日(3月11日)、東日本大震災から10年の時を数えることになりました。
多くの方々の努力で復興が進んでいることに感謝しながらも、「全てにおいて復興はまだまだこれから」との思いの方が強いです。
「震災復興に向けて、国民が一丸となって頑張る」
3月11日は、そのことを改めて胸に刻む日となりました。
10年前、民主党・国民新党の連立政権で、私も政権与党の中で様々な出来事に向き合うことがありました。
地震発生直後、与野党の全党首と幹事長が集まり、緊急会議が行われました。
国民新党の亀井静香代表が「救国内閣をつくろう。自民党の谷垣総裁、公明党の山口代表、そして私も内閣に入る。そして全党が内閣の一員として、皆で国民のために、この日本の戦後最大の危機を乗り切ろうではないか」と発言し、その場で全員に対して回答を求めたあのシーンを、今も忘れることはありません。
また、何度か行われた会議の最中に、枝野官房長官に「福島第一原発で水素爆発が起こった」というメモが届けられ、会議がざわめいたことも鮮明に覚えております。
私もチームをつくり、被災地に行ってボランティア活動を行い、自分が出来る最大限のことをさせていただきました。
特に、「お風呂を持っていこう」と提案した際、「お風呂に浸かれば、衛生面の問題が生じる」など、大激論が始まりました。
最終的には「足湯にしよう」と決まり、実行しましたが、多くの皆様に喜ばれて、私も嬉しかったことを思い出します。
しかし、あの寒く厳しい環境のなかで避難生活をしている方々のことを思うとき、「本当に最善を尽くせているか」「もっと何かしなければいけないのではないか」と、いつも自問自答しながら、悩んでいた時間がありました。
この震災の対応で、なかなか国民からの理解が得られない、政府が官僚を動かすことが出来ていないという声もあり、民主党幹部の方々と協議を重ねたなかで、「亀井静香代表を副総理にしよう」という動きがありました。
菅直人総理をはじめ、事前に関係者からの了承を得ながら、菅総理と亀井代表との会談が実現したのです。
亀井代表が菅総理との会談のためにキャピトル東急を出発するとき、「代表、必ず副総理を受けて下さいよ」と言って送りだしました。
会談の結果を待っていた私のもとに届いたマスコミ第一報は「亀井氏、総理補佐官に就任」でありました。
「ええ!?」思わず声を上げました。
なぜ、副総理ではなく、総理補佐官なのか。
私はそのことがずっと不思議でなりませんでした。
その後、私は亀井代表に対し、人間として、政治家としてやってはいけないことをしてしまい、猛省する中で亀井代表と再会させていただくまでに、7年という時間が必要でした。
亀井代表と再会したとき、「なぜあの時、副総理ではなく、総理補佐官だったのですか」と質問させていただきました。
亀井代表は重い口を開き、「菅総理に『わかった』と答えた後、『原発の問題処理を全て俺に一任せえ』と言ったら、菅総理は考えた末に『原発処理を全て一任することはできない』という返事だった。だから俺は副総理は断り、しかし国民のために仕事はしなければならないという考えで総理補佐官を受けたんだ」と話されました。
亀井代表は、政治家としての発想力、決断力、実行力が、まさに天才的であるだけに、亀井代表が副総理となり、原発問題の最前線に立っていれば、いま違う現実が見えていたかもしれないと、私は思います。