===【放送日時案内】===
「MIKIO POST on RADIO」は、以下の放送局にて好評放送中です!
—————
[毎週木曜 夜8時〜]
FM21:76.8Mhz
FMもとぶ:79.2Mhz
FMレキオ:80.6Mhz
—————
[毎週日曜 朝10時〜]
FMくめじま:89.7Mhz
—————
[毎週日曜 夕方6時〜]
FM那覇:78.0Mhz
===【Podcastで好きな時間に!】===
iPhoneをご利用の方は、Podcastを利用してお聴きいただけます。
購読(無料)は以下のリンクから
======
日時:平成30年1月18日(金) 20:00-20:57
場所:FM21
オープニング
ひろみ/皆さん、こんばんは。本村ひろみです。
この時間からミキオポスト OnRadio、番組のスタートです。
下地ミキオさんは、きっとこのあとスタジオに入るか、もしくはどちらから声を出してくれると期待しておりますが、先週沖縄ではあられやひょうも降ったのに、きのう、きょうはあたたかいですね。
今、浦添の気温は19度。
私、半袖。
本当になんだかこのまま一気に春かなと思いきや、来週はまた寒いんだそうです。
どうぞ皆さんは風邪をひかないように。
このあとも1時間たっぷりと話題盛りだくさんで、ミキオポスト OnRadioお届けします。
今週はすてきなゲストの方も迎えていますので、どうぞ最後までお付き合いください。
それでは、きょうの1曲目お届けいたしましょう。
小沢健二で「痛快ウキウキ通り」
♪ 小沢健二/痛快ウキウキ通り ♪
今日のゲストは、音楽プロデューサーの仲宗根ゆうこさん
ひろみ/ミキオポスト OnRadio、お届けしております。
さあ、すてきなゲストをスタジオにお迎えしてお話を伺っていきたいと思います。
ゲストはナカソネユウコさんです。
緑ノ角(ミドリノツノ)株式会社代表ということで、日系音楽をキーワードに今、沖縄、日本世界で活躍していこうという、すばらしいプロデューサーです。
ユウコさん、よろしくお願いします。
ナカソネ/よろしくお願いします。
ひろみ/今のご紹介で大丈夫でした?
ナカソネ/まだ活躍してないんですけど。
ひろみ/いやいや、気持ちはね。
この間、先日ちょうどすてきなグース外間さんにお会いしたとき、ナカソネさんの仕事はこれからすごい勢いだなという気がしました。
ナカソネ/頑張ります。
ひろみ/そんなナカソネユウコさん、まず出身から伺ってまいりたいと思います。
沖縄のご出身でいらっしゃるんですよね。
ナカソネ/はい、北中ですね、出身は。
ひろみ/北中の方で。
飛び出して、県外でお仕事されていらっしゃるんですよね。
ナカソネ/そうですね。
中学から大阪に出て、大学で中退しましたけど、18歳から東京で暮らしてて、テレビの仕事、テレビ番組の制作を18年間しました。
ひろみ/メディアの世界にいらっしゃって、18年間。
それも県外だと、大変な仕事量だったと思いますが。
ナカソネ/そうですね、打ちのめされて、ちょっとリセットのために沖縄に戻ってきて、それでも何かやらなきゃいけない、行かなきゃいけないという感じで、ペルーに3カ月の旅行のつもりで日系1世、うちの祖父母がペルーに行っていましたので、そのファミリーのことが知りたかった。
自分のルーツが祖父だと思い込んでいたところがあって、ペルーで亡くなっていましたが、彼はどんな人だったのか聞き込み調査行ってきました。
ひろみ/もともと東京のディレクターだったときは、ドキュメンタリーだったというのもあると思うんですけど、やはり自分のルーツ探しをしにということですね。
ナカソネ/ディレクターじゃなかったですが、最初はリサーチでクイズ番組に始まって、制作始まって、最後プロデューサーでやめましたが、ドキュメンタリーと、あと海外のドキュメンタリー紀行、また音楽番組が大体多かったです。
ゲストトーク:ルーツは南米に
ひろみ/そういうベースがありながら、やはり自分のことを振り返ると、南米にルーツがあると。
ナカソネ/そうですね。
今までは企画を出して自分が興味があるところにつっこんで取材して、形にしていったんですが、ふと会社をやめて、自分探しですが、自分って何なんだろうって。
今まで一生懸命毎日仕事してる上で、自分のルーツの沖縄とか、そういうこところを考えないといけないけど、何か蓋をしてしまっていた。
今は時間もたっぷりあるし、南米も昔ほど遠くない存在で、今だったら28時間ぐらいで着いちゃうので。
ひろみ/30時間は超えないんですね。
それでも28時間。
ナカソネ/飛行機によっては。
ひろみ/36時間かなと。
28時間、それでも長いですが。
ナカソネ/長いですけど、行けない距離ではないと思って行きました。
行ったら、3カ月の予定だったんですけど、スペイン語がなかなか40過ぎていったものですから、全然しゃべれなくて、親戚のいとこたちが何をしゃべっているかわからなくて、それでどんどんのびていって、そのうちペルー料理っていう存在にちょっと衝撃を受けて、少しやっぱりこれは世界、日本に伝えないといけないという気持ちが高まって、ペルー料理の記事を日本に送るライターとして3年半ぐらいは活動してました。
ひろみ/そこでもライターの仕事をされて。
日本に。
ナカソネ/ペルーに残るために。
ひろみ/そこではやっぱり仕事をね、ご自分のできることを見つけるのは、すごいなと思うんですけど。
聞きたい話てんこ盛りですが、ペルーのお料理のどこに惹かれましたか。
ナカソネ/私が行ってたのが、2010年からですが、ちょうどペルー料理が世界、ヨーロッパで物すごく注目されていたときで、ペルーと言えば、アマゾン、ジャングルがあって、アンデス標高3000、4000メートル級の高地があって、砂漠地帯があり、海岸はペルー海流といいますが、フンボルト海流で、物すごく漁場がすごく豊富といいますが、いろんな極地というか、アマゾンにしても、アンデスにしても、物すごく人種が違うんです。
顔も違えば言葉も違うし、基本はスペイン語ですけど、そこで生まれたその土地の料理プラス、1532年にスペインから征服者たちが来たときに、ヨーロッパの文化が持ち込まれて、そこではじめて牛が誕生しますが。
ひろみ/それまでは、牛。
ナカソネ/ラマ。
ひろみ/ラマが。
ナカソネ/とか、アルパカとかを食べていた。
ひろみ/アルパカはかわいいイメージしかないんですけど、食べるんですね。
ナカソネ/今でもアルパカのステーキとかあります。
でも基本的にはアルパカの毛をニットとして使っている。
ひろみ/高級な感じがしますけどね。
アルパカというだけでも。
それだけでもペルーって、すごいいろんなものがありますね。
ナカソネ/すごい。
ひろみ/豊かですね。
ナカソネ/本当にまだまだ足りない、まだまだ足りないで、気がついたら4年で、両親がちょうど同時入院してしまって、ちょっとだけ沖縄に帰ります。
でも帰ってきたら誰か側にいないといけないということで、沖縄で活動することを決めて戻ってきました。
ゲストトーク:いま注目の分野「日系食」
ひろみ/今は沖縄本島に腰を据えてってことですが、ここまで伺うと、さっき紹介したミドリノウチノ(?)株式会社は、どういうお仕事かなと思いますが。
ナカソネ/ペルーで学んだというか、ペルーでは一生懸命ペルー料理を探求していたんですが、帰ってきて2014年に帰ってきましたから、帰ってきてアルベルト城間さん、ペルーでもアルベルト城間さんと接点はあったんですが、帰ってきてアルベルト城間さんがオキナワラティーナという音楽イベント、沖縄をラテンで元気にしようと。
そこでまず企画書、書いてほしいという話があって、そこから一緒に主催という形で、今は、オキナワラティーナのプロデューサーとして関わってます。
それは音楽で、私も音楽のテレビ番組制作していたころに、音楽にも興味がありましたし、ペルー料理の話に戻りますが、ペルー料理が世界で認められ始めて、その中でも日系という料理の分野が物すごく注目されて、ことしは世界の料理の風土のモード、ファッションみたいな。
ひろみ/流行があるんですか。
ナカソネ/流行があるんですね。
それを、マドリッド・フュージョンで発表したものに注目が集まるんですが、その世界の料理、レストラン50、ベスト50というランキングがありまして、今はやっている料理のレストランの50で、去年初めて日系レストランでペルーのお店が8位にランキングして、そのラテンアメリカのベストレストラン50では1位になっています。
ひろみ/すごいですね。
それも、日系なんですね。
ナカソネ/日系で、彼はツムラミツハルさんというシェフですが、彼のおじいちゃんは沖縄出身で金城さんというお名前だと伺ってます。
ひろみ/ウチナーンチュとして誇りですね。
ナカソネ/誇りですね。
ひろみ/今、日系とおっしゃったということは、日本風ではないわけですね。
ナカソネ/日本風ではないんですけど、ちょっと表現が難しいですけど。
ひろみ/ニュアンス難しいですね。
ナカソネ/もともとは日系という料理は15年前くらいからペルーの中では注目されていましたが、1世の人たちが苦労して、日本の料理に近づけるために、現地の食材、例えば梅がないので、プラムを梅干しのように仕立てて、つくっていたりとか。
ひろみ/なるほど。
ナカソネ/お米もカリフォルニア米とかアジアのお米みたいにパサパサの細長いお米が主流なんですけど、やっぱり日本に近いお米をつくり始めて、もちっとしたような、お米をつくったりとか、あとは、巻き寿司。
握りよりも、巻きのほうが、断然人気があるんですね。
巻きの中にペルーの伝統的な料理を具として巻き込んだり。
外国人が食べて、インパクトがある。
日本の料理は、出汁とか、味付けが、すごく繊細なんですが、そこはもうがつんと、見た目もがつんと。
ひろみ/これちょっと、食べてみたいですね。
今、日系をキーワードにしたフードが世界で徐々に注目を浴びているという。
ナカソネ/それで、去年、ペルーでも政府も力を入れて、御馳走ペルーというフェスティバルを開催して、これは日系の料理のレストランのシェフたちが力をあわせて、フードフェスティバルをスタートさせて、これは毎年行われると決定したんですね。
ひろみ/すごいですね。
ナカソネ/そういう意味もありますけども、また、去年、ノーベル文学賞に、イシグロカズオさん、日系イギリス人、彼も、日系という言葉が非常に動き始めている。
その中に私もちょうど、ペルーで日系人の生活を見てきて、アルベルト城間さんから企画書を書いてくださいというお声がかかり、今、一緒に音楽をとおして、日系の方々の音楽を紹介していますので、緑ノ角(ミドリノツノ)株式会社で、この日系人と日本人を音楽で結ぶという意味合いで、立ち上げて活動しています。
長くなってしまいましたが、ごめんなさい。
ひろみ/すごく、熱い思いもわかりましたし、フードに関しても、さすが***されていただけあって、いろいろ情報をお持ちですが、今は特に音楽にフォーカスされているのがわかりました。
きょうはこの後、グース外間さんから、すてきな方の御紹介をしていただくんですが、ここでグース外間さんの曲を一曲お届けしたいんですが、どういった曲になりますか。
ナカソネ/彼は日系三世で、おじいちゃんが1世沖縄出身で、おばあちゃん、また1世の方にむけて、感謝をこめてつくった歌がありますので、時空の花という歌です。
それでは聞いていただきましょう。
グース外間さんで、「時空の花」
♪ グース外間/時空の花 ♪
ゲストトーク:グース外間さんについて
ひろみ/歌声に、今本当に癒やされました。
グース外間さんの、時空の花という曲です。
今週のゲストは、日系音楽をキーワードに活動しているプロデューサーのナカソネユウコさんです。
ナカソネさんがグース外間さんと出会ったきっかけは何年前どういったきっかけですか。
ナカソネ/私が2014年に帰ってきて、各市町村で、今2カ月とか3カ月とか海外移住指定研修制度というのをいろんな地域でやっていますが、移民で行かれた、指定の3世、4世の方々をお招きして、各市町村が日本の文化とか、沖縄の芸能文化を知ってもらうための研修があるのですが、ちょうどグースが2015年に、3カ月アルゼンチンから研修に来ていまして、私もちょうどそのころ3カ月間、ペルー人の女の子を、うちで預かってホームステイ、身元引受人をやっていたので、ちょうど彼との交流もあったんです。
グースはお医者さんでもあるんですけど。
ひろみ/地元アルゼンチンではお医者さん。
ナカソネ/お医者さんでもあり、ミュージシャンでもありという。
そのぐらいしか知らなかったんですけど、この音楽を聴いてくださいって、沖縄に来るときにつくって沖縄に来て完成させたという、ビデオクリップがメールで送られてきて、それを見たときに、聞いた最初の印象としては、スペイン語で音楽は、沖縄にもないすてきな、ヨーロッパの香りのする、アルゼンチンは、ヨーロッパの方が多いので、ものすごく影響を受けていて、すごくステキな、オシャレなメロディーだなと思っていて、そして歌詞を教えてもらったら、移民のおじいちゃんが、アルゼンチンに移民して言葉も文化も知らずに行って、花卉栽培、カーネーションを育てて、僕らを育ててくれたという話で、苦労の話も出てくるのですが、歌のメロディーと歌詞の内容、伝えたいことのギャップにまず驚いて、私は4年間ペルーにいて、私なりに、祖父母の移民のこととかを、何か形にしたいと思いながら、何もしてこなかったなという思いもあって、これすごいなと思って、通常、移民の歌、例えば移民の舞台だと、悲しさが先行するんですね。
でも彼は3世ですから、生まれた国のカルチャーも十分に吸い込んで日系の社会の中で生きてきて、これからおじいちゃん、これからあなたの生まれたふるさとに、あなたに会いに行きますというすごく未来を感じて、悲しさで終わってないなと。
これは、1世、2世は、悲しさをすごく伝えていたと思いますが、3世、4世の時代になると伝え方が変わってくるんだと、すごく自分にとっては衝撃的だったんです。
これは本当に素晴らしいから、この研修の修了式に、日本語で歌ったらどうかなという話で、そういう提案をして、そしたらいいですねっていう、彼も日本語になるんだってことが、すごく衝撃を、彼も受けて、アルベルト城間さん、オキナワラティーナで一緒にお仕事していましたので、私が訳詞をして、これは歌にメロディーに乗せて、アルベルト城間さんにも日本語としての歌い方のアドバイスを受けたりしていました。
ゲストトーク:下地ミキオ登場。日系文化をもっと日本へ!
ひろみ/本当にそれで今、歌声が今、大変、日本語が流暢なのは、アルベルト城間さんのおかげだと。
グース外間さんの歌をたっぷり今、聴きましたが、ここで電話がつながっているということで、ミキオポスト OnRadio、メインパーソナリティの下地ミキオさんだと思います。
ナカソネユウコさんもご一緒に。
ミキオさん。
ミキオ/こんばんは。
ナカソネ/こんばんは。
ミキオ/どうも。
ナカソネさんの話を聞いてれば、きょうは僕の話は必要ないのかと思っています。
ひろみ/グース外間さんの歌声も今、お届けしていましたが。
ミキオさん、今、お忙しいですか。
ミキオ/大丈夫ですよ。
ひろみ/日系の皆さんがこうやって活躍しているのがうれしいですね。
ミキオ/正式に今回、3月31日で、18歳から30歳までの4世が日本人と同じような扱いになることが正式に決まったので、ナカソネさんなんか、これから多くのチャンスがまためぐってくるんじゃないかと。
また、日系の方々にそういうチャンスが来れば、日本でも日系という言葉がすごい私は、流行語になると思っていますので、ぜひ頑張っていただきたいです。
ナカソネ/ありがとうございます。
ひろみ/日系音楽という新しいジャンルみたいな感じもしてきました。
ナカソネ/私の中では、韓流がブームになったように、新しい、日本人がまだ気づいていない彼らの魅力を伝えられたらいいなと思っていまして、日系スタイルという領域があることを、音楽を通して伝えていけば、日系という言葉は知らない人も多いですけど、日系って何、じゃなんで海外に、日本をルーツにした人が海外に行っているのというふうに歴史をたどっていきやすいんじゃないかと。
また、日系人が注目されることによって、日系人自身の誇りにもなるし、また、同じ日本人が、同じ血を分けた、海外の仲間という意識が高まれば、世界で手をつなぐことができるというふうに思っています。
ミキオ/本当におっしゃるとおりで、私が感じているのは、日系人は、日本人の誇りなんです。
ナカソネ/はい、そうです。
ミキオ/本当にこうやって、終戦後、戦後の前から、異国に行ってこれだけの、汗を流して苦労しながら、今の日系社会をつくってきたという、あの人たちこそが、日本人の誇りです。
ナカソネ/本当にそうです。
ミキオ/それを私たちがもう一回、ある意味目覚めて、誇りをもう一回感じあう、そういう日本社会にしないといけないと思うんですよね。
そうするとちょっとおもしろくなってくる。
それと同時に韓流も日系のここの背景というのがあるわけさ。
韓流も、日本と韓国の歴史というのは厳しいんです。
この中で若い人たちがこういう政治や***いろんなことを乗り越えて、お互いがお互いを尊重して、***を育て合うという韓流とか、韓国においても日本人の歌手とかは人気になるという、これがすばらしいですね。
これは厳しい歴史があったからこそすばらしさが引き立つわけよ。
***。
/そう思います。
そこでつなぐ役割になれのが、まず音楽からなんじゃないかなというふうに思っています。
ミキオ/これをアルベルト城間さんの成功例というか、彼の努力があるから、彼に続くような日系社会の中での人が、どんどん出てきたらおもしろくなるね。
ナカソネ/おもしろくなります。
ミキオ/紅白歌合戦に3人は日系人っていうのどうでしょう。
ナカソネ/いいですね。
ミキオ/紅白歌合戦は日系人の一番の楽しみですからね。
ナカソネ/そうですね、世界中で見ていますから。
ミキオ/僕なんかそこにやっぱりあると、ブラジル、ペルー、アルゼンチンとかね、一人ずつ特別出演をやらせたほうが一番いいと思う。
ひろみ/いいアイデアですね。
おもしろい。
ミキオ/それをやる意味があるよ。
そういうのが僕の思いなんです。
それともう一個は、この前もナカソネさんに申し上げたけど、天皇陛下が、来年4月30日で***けど、この前に天皇陛下がこの在任期間の間に、南米まで行かれるのはちょっと日程も大変だと思われるけど、どっかで、このブラジルじゃなくてですよ、ペルーじゃなくて、ここの彼らを、ウチナーンチュ大会に一回、呼んで、最後のこれやりたいですね。
日系人大会みたいなのをね。
南米に行っている、日系人の各国の代表が出てさ、何か、そういうのできないかなと思うね。
ナカソネ/いろんな、海外の日系100周年とか、そういったところでは、日本のトップの方々がいろいろ、お祝いに駆けつけるんですけど、その逆が先ほどおっしゃったようなウチナーンチュ大会みたいに、お迎えしているのは今、沖縄だけですよね。
大きくは。
それが、日本全体がそのお迎えして、それを受け入れるってことを、もっと考えるチャンスといいますか、イベントをつくっていかないといけないとすごく感じています。
ミキオ/今、ナカソネさんが言っているように、向こうで100周年110周年、120周年やるのも大事です。
しかし、120周年頑張っている人たちを日本に呼んで、日系社会のフォーラムやイベントであったりやることで、日本社会における日系人が認知されていくんです。
今は向こうでやっているのでわからない。
ナカソネ/全然見えない聞こえない状態だと思います。
ミキオ/僕はそこを言っているんです。
だから、今回、日系2世をもとに取り組んでここまで正直いって、自分なりに政治家として、このプロジェクトは成功したことは本当に大きいと思うよ。
そんなに簡単じゃないと思う。
4世も日本人と同じように、実際、政治家でいないんだから、今まで。
それを1年間でやりとげたから。
安倍さんの答弁を引き出して、それを法務省でやりあって、今ここまできたから。
これだけの僕にとって最終的な意味じゃないですよ。
最終的な意味は、さっき言っているように、日系社会を日本で認知させることなんです。
苦労して、南米に行って頑張った人たちを評価できるような日系社会との絆を強くしたらこの国元気になっていくと思うんだな。
ナカソネ/そう思います。
1990年代のバブル期に、日系人がたくさんいらっしゃったときは、出稼ぎという言葉で、彼らの言い方(?)になりましたけど、今回これから4世の方々、この仕事で来られる方に対しても、そういう言葉じゃない、もっと夢のある言葉をどなたかが考えていただければ。
ひろみ/ほんとですね。
ミキオ/それはあなたが考えたほうがいいよ。
今度の南米から留学生、倍増させましたよ。
南米からの留学生、55人と、別の種類が3種類くらいあって、これ、みんなで100名ぐらいになりました。
何人だったと思います?
ひろみ/今までですか。
ミキオ/15人だよ、15人。
ブラジルからの留学生はそれでいいけど、僕は日系ブラジル人とか、日系人ペルー人とか日系アルゼンチンとかって、日系人を呼ぶというプランを今回つくって、これもスタートするんですよね。
ナカソネ/どんどん広がっていきますね。
ミキオ/広がっていくよ。
ゲストトーク:音楽を通じて、日本と南米の架け橋に
ナカソネ/彼らにとっても、日本は憧れの国でいてほしい。
それはさっきも話しましたけど、その1990年代のときに、やっぱり悲しい思いをしているので、日本に対しての憧れが、少し減ってきていると思うんですね。
そこで、日本人がもっと受け入れる気持ちを持てば、彼らももっと夢をもって日本に留学も仕事も日本に向かってくると思うんですけど、そこはすごく音楽を通して伝える日本人に訴えることが、まず一番未来を感じるのかなと思っています。
ミキオ/絶対それ大事ですね。
私たちは、この交流は、日系人社会との交流は、お互い文化とか通して、ビジネスとか、いろんな交流の仕方があると思うんですけど、尊重し合った交流じゃないといけないですね。
ナカソネ/両方、日系人も、日本人も同等の立場で話ができるような、そういうのをつくっていかないといけない社会を。
ミキオ/それやりましょう。
ナカソネ/やりましょう。
ミキオ/僕は、この音楽を通してということは、僕の発想にはなかったから。
だから、ナカソネさんと知り合って、ああ、そうかと。
日系社会って、僕はビジネスを通して、留学制度を通してってだけど、そうじゃなく、本当は音楽通してやるとおもしろいねと。
ということを改めて思っていましたので、これをぜひやりたい。
ことしも南米いきますよ。
結果を出したのを受けて、もう一回、南米で多くの皆さんと話をして、夢を持って来ていただいて、納得のできる日系社会とのベストミックスを必ずつくりたいと思っていますから。
ナカソネ/よろしくお願いします。
ミキオ/これをやる。
特に沖縄は日系人多いでしょ。
移民、ブラジルに行っても、ペルーに行っても、どこに行っても沖縄の人多いからね、それだけ向こうの社会の中で結果を出しているのはウチナーンチュなんで、彼らにもしっかり理解を深めるようにしたいと思っています。
ゲストトーク:日系人の日本への想いをつなごう
ナカソネ/もう一ついいですか。
日系人の中心が3世、4世の時代になっていて、1世、2世が教育したおかげで、彼らは3世、4世はすくすくと、その生まれた国の文化を吸い込んで、また日系人の中で2つの文化を持って、成長していますから、またその特徴的な2つの文化を持つという特徴のある音楽をつくり出すんですね。
そこが日本とか、沖縄へ自分のルーツを思う気持ちと、今の自分の国のカルチャーがおりなしてるんですけど、またこれが6、7世になると日本への気持ちってのが、そこからさらに遠くなってしまうので、この今彼ら、3、4世の時代がもうほんとに一番今がチャンスといいますか、彼らの気持ちを、彼らをもっとクローズアップするのが一番今がチャンスじゃないかと思っていますので、どうぞ下地さんよろしくお願いします。
ミキオ/頑張ります。
ひろみ/素晴らしいタイミングで今、ミキオさん動いておりますので、ぜひミキオさんにさらに頑張っていただいて、ブラジル、南米にもいくわけですけど、ちなみにミキオさん今はどこにいらっしゃるでしょうか。
ミキオ/言えません。
ひろみ/お忙しそうですけど。
Facebookでみてますとね、大変。
ミキオ/今、選挙もあるのでいろいろ頑張っています。
ひろみ/また、こちらでお話を続けてまいりますので。
ミキオ/ナカソネさんの素晴らしいトークきいてください。
ラジオをお聞きの皆さん、彼女の活躍は日系社会だけじゃなくて、沖縄にとっても、大きな未来をつくることになると思ってますから、残された時間、楽しんでいただきますよう、よろしくお願いします。
ひろみ/ありがとうございました。
ミキオ/来週は、私がまた生々とした政治の話を、国会始まりますからやりますので。
ひろみ/楽しみにしておりますので、頑張ってくださいね。
ミキオ/ありがとうございます。
ゲストトーク:グース外間さんのライブがあります!
ひろみ/メインパーソナリティいつも元気な下地ミキオさんにお話伺いましたけど、ナカソネさん、こういう頑張ってくれる方がいるのは、3、4世にとってもほんとにありがたいですね。
ナカソネ/心強いです。
本当に、日系人ということばを知らない人も多いので、私たちが、忘れてはいけない。
私、ペルーにいって思ったんですけど、暮らしているときに、ハポンって日本、スペイン語でハポンって日本、オキナワウェンセン(?)ってウチナーンチュって意味なんですけど。
私の親戚、私がお世話になっていた親戚は、ほとんど日本語しゃべれない仮定で、それでも毎日、ハポン、ハポンとか、ハポンやオキナウェンセンって言葉が出てくるんです。
私はそういえば、日本にいるときは祖父母のことを思い出したのって年に1回あったかなっていう、すごく自分が恥ずかしい。
でも、そこに戻りなさいって、その思い出しなさいって、その存在をもう一回、勉強しなさいっていうことかなという思いで、帰ってきているんですが、忘れていると思うんですね。
日本全体が、戦前、戦後、苦しくて移民をした方々、戦後、沖縄の経済の60%は、仕送り、海外からの移民されていた方が現地でお金を稼いで送られた。
その経済を支えていたのも彼らの頑張りだった。
そのことは私もそうなんですが、もっともっと勉強して伝えていきたいと思っています。
ひろみ/やはりこれから、ナカソネさん、やることがたくさんあるような気がしてきました。
ここで1曲、ステキなグース外間さんの曲をお届けしたいと思いますが、今アルバムがね、今度、土曜日、あさってにリリースされるということで。
1月20日はライブあるんですね。
ナカソネ/1月20日、北谷のライブハウスモッズでライブがあるんですけど、そのライブハウスで、発売スタート、開始したいと思っています。
ひろみ/楽しみです。
そのアルバムから、ご紹介していただけるんですか。
ナカソネ/はい。
このアルバムの中に、ほとんどスペイン語なんですが、なんくるないさという曲があります。
ぜひ聞いていただきたいと思います。
♪ グース外間/なんくるないさ ♪
ひろみ/グース外間さんの、なんくるないさ、すぐに口ずさめそうなそんなリズムと歌ですが、これはスペイン語ですね。
ナカソネ/はい。
ないくるないさというところ以外はスペイン語と、サビで英語です。
ミキオ/これはどういう意味合いですか。
ナカソネ/なんくるないさって、今の若い方は、なんとかなるよーって感じがあるんですけど、まず最初にグースが、今度の曲はなんくるないさと来たときに、うーん、どうしようかなと悩んでいたんですけど、詩の内容の思いを聞いて、まず私たちの今若い人たちの、なんくるないさの使い方じゃなくて、1世の人たちが、素直な気持ちで一生懸命頑張って仕事もやっていければ、壁は乗り越えられるよって、努力をしたら達成できるよ、だから笑顔でスイートスマイルといいますが、笑顔でどんなときも頑張ろうねみたいなことなんですけど、1世の方々が、昔の本来のなんくるないさの意味をそのまま今の3世、4世まで伝えている。
今、スペイン語を話せない3世、日系人の方でも、なんくるないさはわかっているんですね。
何かがんばろうっていうときは、なんくるないさって、そこだけウチナーグチになるので、それは逆に沖縄の人にも伝えていきたいなと思っています。
ひろみ/なんくるないさという意味は、皆さんわかってらっしゃたわけですよね。
ナカソネ/ニュアンスはすごく伝わってますね。
今でもつかって生きた言葉。
ひろみ/ウチナーグチで残っているという、日系社会の中では使われているという。
ナカソネ/逆に私たちがはっとさせられることも、やっぱり多いですね。
そういう言葉で。
ひろみ/グースさんステキな歌を作って、そして歌声もやさしくて、新しいアルバムのタイトルは、先ほどの曲、時空の花、それがそのままタイトルになってましたけど。
ほかの歌を聴いてみたいという方に、なんと今、YouTubeでさわりの部分だけ少し聞けるそうです。
ナカソネ/このアルバムのプロモーションとして、グース外間、ニューアルバムリリースで検索するとYouTubeに上がっているので、9曲、さわりだけ、サビだけ出ているので、どうぞ聞いていただければと思います。
日本語の曲は5曲あります。
ひろみ/検索していただくと、新しいアルバムの曲、さわりの部分が聴けるということで。
あと、先ほどちょっとお話していただいた、おじいちゃんと、御自分の、それイラストにして動画になさってますよね。
ナカソネ/これが最初は、エントレクラベース(?)という実写版のアニメーション畑にいった、実写版の映像だったのですけど、2016年、私が2015年に日本人に伝えないといけないということで、1年に1回、沖縄に、日本で音楽活動してみてはどうですかということで、彼は2016年ちょうどウチナーンチュ大会だったので、オキナワラティーナが県との連携事業としてやったときに、そのために実写版だけでは物足りない、伝えられないということで、アニメーションをつくって、そのアニメーションも日系のアニメーターとイラストレーター、アルゼンチンの。
それをつくって、それでもまだまだ足りないということで、おじいちゃんとグースが子どものときにかわした会話を再現という形でイントロダクションという形でアニメーションつくって。
ひろみ/私も先日見せていただきましたが、本当にすばらしい映画のような完成度の高い動画だなと思って、アニメーションだなと思って拝見したんですけど。
ナカソネ/彼のすごいところは、伝えたいという気持ちがものすごく強い、そこは思いが集約されていると思います、アニメーションに。
ひろみ/グース外間さん、今沖縄にいらっしゃって、つい先日も那覇でライブされて、20日、土曜日は北谷のライブハウスモッズで19時スタートですか。
ナカソネ/19日オープンの20時スタートで、ここが沖縄最後のライブになります。
ひろみ/そのあとに県外に行かれるんですね。
ナカソネ/東京にいきます。
青山の、ツキミルキミオモウというライブハウスです。
ひろみ/青山に。
ツキミルキミオモウ。
何とロマンチックなライブハウスでしょうか。
それが1月26日金曜日で。
スタート何時ですか。
ナカソネ/こちらもオープン19時でスタートが20時になります。
ひろみ/ぜひ、東京にいる友人にも声かけていただければと思いますし、チケットは当日いっても大丈夫ですかね。
ナカソネ/今、各プレイガイドで、東京のライブに関しては販売中です。
ひろみ/詳しくサイトなど、ナカソネさんおもちですか。
ナカソネ/オキナワラティーナの中にグース外間というページがありますので、こちらでライブ情報と、彼のプロフィール、また、伝えたいこと、動画のサイトの案内とかも出ておりますので。
ひろみ/本当にグース外間さんの人柄にふれていただいて、歌を聴いていただきたいと思います。
私もすごくやさしい瞳にひきこまれるようなそんな感じで歌声も聞かせていただきました。
あっというまのお時間でしたが、最後ですが、ナカソネさんからPRさせていただいて、グース外間の曲でエンディングとさせていただきます。
ナカソネ/1月20日土曜日、北谷ライブハウスモッズで、グース外間の沖縄最後のライブがあるので、ぜひいらしてください。
こちらはライブハウスモッズの予約で大丈夫です。
098-936-5708。
1月26日金曜日、東京ライブに関しましては各コンビニの、プレイガイドで発売中です。
エンディング
ひろみ/すてきな話をきょうはありがとうございました。
それではここで、オープニングでも聴かせていただきました、グース外間さんの時空の花をもう一度、聴きながらお別れしたいと思います。
本日のゲストは、ミドリノウチ(?)の株式会社の代表、日系音楽を今、皆さんにプロデュースしております、プロデューサーのナカソネユウコさんでした。
ナカソネさん、ありがとうございました。
ナカソネ/こちらこそありがとうございました。
♪ グース外間/時空の花 ♪]]>